フランスベッド社員時代に培った
自社商品に対する責任感

日本羽毛製造株式会社:早野好雄会長創業以前

弊社創業以前、私はフランスベッド株式会社に長年務めていたんです。

東京都福生市出身で、高校は都立八王子工業高校の定時制を卒業しました。

高校時代の4年間は、昼間働いて3時には上がらせてもらって学校に通う生活。
お世話になった職場だから、卒業したら1年は奉公しようと決めていました。
その後、21歳のとき昭島市にあるフランスベッドの工場で、家具を作る仕事に就きました。
昭和34年の7月のことです。

フランスベッドでは労働組合の組合長を務めるなどしたあと、転勤先の三重工場では副工場長にもなりましたが、異動から2年半ほどたった昭和56年の10月31日付で退職。東京に帰ってきました。

羽毛製品との出合いと転職

羽毛ふとんに関して、フランスベッドは国内では最も古いメーカーの一つです。日本に羽毛ふとんを広めた最大の功労者でしょう。
約50年前の当時は店頭販売ではなく、「キャンペーン販売」が主でした。つまりフランスベッドが商品を卸している家具店で社長や従業員が枚数を割り当てられて、個別販売を業務時間外に行っていたんです。成績優秀者には報奨金を出したりして。

ある時、フランスベッドの子会社で羽毛ふとんを作っていた友人が独立して会社を興し、「おまえの椅子は用意してある」と誘うので転職することにしましたが、会社への思いも強かったから、なかなか本当のことは言えなくて、「母の世話をしたいので東京に帰りたい」とだけ理由を告げてフランスベッドを退職しました。

ところが、考えていたのとはちょっと違った。ポストが用意されていたのは、友人が経営する埼玉県本庄児玉にあった羽毛ふとん工場ではなくて、関係する飯能の販売会社だったんです。そこでも新たに工場を持つことになったのですが、勤め始めた昭和56年11月当時はまだ大工さんが工場を建設中でしたね。

フランスベッドの工場に長年勤めた私は鉄を切って組み立てる人間でしたから、ミシンなんてやったことがない。それがいきなり工場長で、縫製を人に教える立場になってしまい、それはもう大変でしたよ。毎晩、夜中まで練習しました。

フランスベッドを退職して、もう後戻りはできないし、「どうせやるなら自分で」と思って、1年余りのちの昭和58年の5月に工場を立ち上げることになりました。

創業初期

初めは本庄の友人からもらった羽毛ふとんの側生地を縫い合わせる仕事でした。飯能の会社に勤めていたことが縁となって、独立後は入間市野田の元織物工場の一角を借りることになったのです。もともとは従業員たちに賄いを提供していた部屋を改装して3台のミシンを置き、大家の息子たちなど3人の工員で始めました。

そのうち、飯能の会社からも下請けの仕事をもらい、まくらに羽毛を充填するなど、仕事の内容も工場の面積も広がっていきました。

初めての仕事で忙しくなって大変だったけれど、絶対にするまいと決めていたのは、お世話になったフランスベッドの邪魔になるようなこと。例えばフランスベッドに勤めていた人を従業員として雇ったり、得意先の家具店と取引したり、そういうことは決してしなかった。

そうして10年がたったころ、やっとフランスベッドの創業者である当時の社長、池田実氏を訪問し、改めてご挨拶をすることができました。

夏休み中の工場にうかがうと、案の定、社長はいらっしゃった。「可愛がっていただいたのに、挨拶もなく退職してすみませんでした」と頭を下げ、その後の経緯をお伝えすると、池田氏は休日でも出勤している工場長らを呼んできて、「早野に仕事をやれ」と言ってくれた。池田社長には本当に感謝しています。

最大のピンチ

創業以来最大のピンチは、今から約20年前、品物を卸していた店が不渡りを出したこと。それによって金額にして1億円近い負債を抱えました。親戚縁者に頭を下げて回ったけど、そうやって借りたお金だけではとても足りない。「これはつぶれるかもしれない」と思ったとき、工場として部屋を貸してくれていた大家さんのお母さんが不動産の権利書や通帳、印鑑を差し出して、「これで会社が助かるなら使って」と言ってくれたんです。あれには泣けた。息子が勤めているからとか、会社がつぶれると家賃が入らなくなるからといっても、私を信じてくれていなければ、そこまでできないでしょう。

もっとも金融機関がにわかには信用しません。赤の他人が担保を差し出しているなんて。1か月かかってようやく7千万円の融資を受けることができて、困難を乗り切りました。

その後、現在の自社ビルを購入することができたとき、本当に続けてこられてよかったと思いましたよ。

国内自社工場生産へのこだわり

メイド・イン・ジャパン、それも自社工場生産にこだわるのは、やはり外注を出さない主義だったフランスベッド、池田社長の近くにいて、その教示を受けたから。商品に対する責任を全うするためには目の届くところで作らなければならないと考えているからです。材料にしても、わずかな端切れさえも捨てないよう、資源を無駄なく使うように関わる人の意識を統一したいからです。

本質的に人を信用していないのかもしれませんが、少なくとも製作現場に立ち、自分で商品を手に取ってみることなく売ったりしてはいけないと思っています。事務方の従業員にもぜひ、「商品を自分の手で触れ、自分の目で見ること」を徹底してもらいたい。私の本当の夢は、羽毛などの原材料もすべて最高品質のものを自社で生産することなんです。

(2020.10.01)